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空間的にも時間的にも
襞があって
歌集『空耳の町』(装幀:真田幸治)
吉野裕之歌集
『空耳の町』
 
 
 
7冊の歌集と
歌論・エッセイ で
構成した選集
『現代短歌文庫「橋みずほ歌集」』(発行:砂子屋書房)
現代短歌文庫
『橋みずほ歌集』
 
 
 
 
雑記帳[73]
都市=まちづくり、NPO=市民活動、短詩型文学(短歌・俳句)、アート・クラフト・デザインなどに関わる雑感を掲載しています。日常のなかのこれらのもの/ことたちは、私たちの思考/試行を楽しく起動してくれます。
727:早坂類歌集『黄金の虎−ゴールデン・タイガー』
726:佐佐木定綱歌集『月を食う』
725:山尾玉藻句集『くれぐれと』
724:泉水麻美の切子(ぐいのみ)
723:歌集『空耳の町』
722:米倉歩歌集『日本語中級1クラス』

721:自作俳句ほか

■雑記帳727 26/7/20

  • 予備のもの何も持たずに行くとする この先、未踏 この先、未明  早坂 類

早坂類歌集『黄金の虎−ゴールデン・タイガー』(まとりっくす) 早坂類さんの歌集『黄金の虎−ゴールデン・タイガー』(まとりっくす、2009年)は、この一首からはじまります。
 上句は旅のことでしょう。目に見えるものだけでなく、旅に出るときはもしものために予備のものを持っていくのが普通です。しかし、彼女は持って行かない。しかも、「行く」ではなく「行くとする」。ここには、断定ではなく、自分に言い聞かせるような響きがあります。そして、下句の「この先、未踏 この先、未明」。未踏とはまだ誰も踏み入れていない場所、未明とはまだ明るくなっていない時。つまり、未知の空間と時間。空間的にも時間的にも未知の、だからこそ可能性を抱えたこれからに向かっていく、そんな静かな決意。「行くとする」という控えめな語り方が美しい余韻を生み出しながら、未来への不安と希望が同時に立ち上がってくる、そんな一首と思います。そんな一首を巻頭に置いた一冊です。

  • 明白なことです永遠に人は死に君も私も死んでなくなる
  • 十本の指のはざまを過ぎてゆく 砂、水、光、わたくしの顔
  • 闇夜から闇夜の奥へ流れ込む河のほとりにようやくに来て
  • 駄々こねるガキンチョ王子さみしいか? お尻を他人にぬぐわせながら
  • 夏の日の水面のひかり ゆらぎ 花 水底の泥にしづもる記憶
  • きみと居て恋人と呼ぶこともなく うつくしい雨 うつくしい虹
  • よく伸びる声に雲の名を教えられ鸚鵡返しに雲の名を言う
  • 心臓のあたりがすこしくたびれてひとにゆっくり遅れて歩く
  • 売られている家庭の味を持ち帰るときそれはひざの上であたたかい
  • 身の内の、知らない子供が泣きはじめて
  • ああ、ああ、そんなことがあったねと波が来る 思い出せない夏の思い出
  •  ひかりへ
    眼が眼を見る事が出来ないようにわたしはあなたを見る事が出来ない
  • 星のふる9月の野はら たいせつな自分ばかりでいっぱいでした
  • 言葉にはしてはならないことがあるそこから汚い手紙が届く
  •  きみは何故泣いたの?
    宇宙一小さな花にごめんなさいと云えなかったので泣いたと思う
  • かなしみは家のかたちにきりとられこんぺいとうの涙がひとつ
  • ゆうぐれの町角に満ちる卵焼きの匂いはくるしい
  • 手の中の小さなゆめがぽんぽんとはねて遠くへ消えてしまった
  • ゆるやかに交じわりつづける泥と水 むずかしすぎる世界の真意
  • 故里は産まれた場所ではないところどこか見知らぬ国の奥底
  • 冬ならば夢の根の下夏ならば伸びる葉末のその果ての家
  • 浴槽のみずうみふかく沈めゆくアネモネの赤アネモネの白

 さらに20首ほど引きました。日常は、具象と抽象との往復によってあるもの。そのことを実感する作品たちと思います。

 

■雑記帳726 26/7/5

  • ゲームならゾンビが出てくるような角 曲がって現実確かめている  佐佐木定綱
  • 残したい思いはないけど月・金に出せないゴミが溜まってゆく部屋
  • 自らのまわりに円を描くごとく死んだ魚は机を濡らす
  • 食ったことないけど作ってみるもののできているのかわからぬロコモコ
  • 渋谷まで電車に乗ってゆく我は十五分だけ年老いてゆく
  • 階下より響く子どもの足音のリズムに合わせ生卵割る
  • 道端の鴉の死骸に驚いて画像に残したけれども消した
  • 魚用冷凍赤虫おれ用の冷凍うどん滲んでゆく夏
  • 筋肉と法被の男に挟まれて非日常の豚骨ラーメン
  • 恐らくは明日覚えてないけれど獺祭飲んで笑い続ける
  • いつよりも陽気な声を出すときはぼくはなんだかさみしくなる
  • きのうと同じラーメンにひとつぶの涙が落ちても変わらねえよな
  • 生きるとは誰かを踏んでゆくことで蟲は何度も命を落とす
  • ティッシュで死体を包む柔らかき棺桶として重ね続ける
  • 手にとれば海と畑のにおいする本を市場の翁より買う
  • ケーキごと落としてつけた床の傷連れてゆけずにさする君の手
  • 事件性あるらし野菜販売所の野菜を赤く照らすパトカー
  • トイレットペーパーの芯積まれゆく従業員用トイレの絆
  • 冷たい水いくら飲んでもおまえのように生きられねえよ ヒヤシンス 咲く
  • 暗き坂登れば夕陽に追いついて缶珈琲が光りはじめる

 佐佐木定綱さんの歌集『月を食う』(2019年、角川文化振興財団)から引きました。出会っていくことが日常なのだ、ということを実感させてくれる作品たち。いわゆる定型を基本にしながら、若干の字余り、字足らずのリズムが、日常というもの/ことの手触りを軽やかに捉えているのだと思います。ただ、リアリティということばは使わないほうがいいのだではないか。使ってしまうと逃げてしまうような、そんな気がするのです。

  • まだ蝉が空を掴んで死んでいる駐輪場の端で濡れてる

 一冊のなかでもっとも惹かれた一首です。いくつかのもの/ことが上句から下句へ移るときに変化していく、その面白さと巧みさに惹かれました。なんでもないような初句の「まだ」が、とても効いているのだと思います。

 

佐佐木定綱歌集『月を食う』(角川文化振興財団)

■雑記帳725 26/6/19

 山尾玉藻さんの『くれぐれと』(角川文化振興財団、2026年)は、『人の香』(角川文化振興財団、2015年)に続く、11年ぶりの句集です。句集名は、収められた「くれぐれと夕風渡る浮葉かな」から取られたもので、「「くれぐれ」には念を入れての意があり、これまでの私の折々の生き方もそうであっただろうという勝手なうぬ惚れごころが働いた所為でしょうか」と「あとがき」にあります。

  • 風邪の身にメタセコイアが真つ赤なり  山尾玉藻
  • 雪のひま水のこぼるる荷を下ろし
  • 片蔭をざざつと掃いてきし箒
  • 風の日の糸瓜の貌の古りにけり
  • 猪喰ひにゆく口紅をさしにけり
  • この子には負けるにかぎるチューリップ
  • 厄介な人花桃をさげ来たる
  • 死んでゆく人をたづぬる片かげり
  • 柚子貰ふ当てある冬至近づき来
  • 林檎かじつて生意気な耳ふたつ
  • きらきらと溺れてゐたり秋の蜂
  • 秋風に引つ掛けてある割烹着
  • もの識りが討入りの日を忘れゐし
  • オルガンの運び込まれしげんげん田
  • 仏手柑を見に来たるとはおもてむき
  • 炎帝の胸もとへ槍投げんとす
  • 木の実降る犀のしづかな甲冑に
  • まだ昨夜を踏みをり蟇の後ろ肢
  • 夫の忌や韮の咲く辺に風見えて
  • のぼさんの頭のやうな梨?けり 

 多様な俳句を収め、それらは塩梅というものを知っている人のもの(ふと気づいたら、以前にも塩梅ということばを使っていました(雑記帳073))。だから読者は、とても楽しく一冊を詠み進めることができます。俳句だからこそ捉えることのできる日常の陰影。俳句を知っていることの喜びを思います。

 

山尾玉藻句集『くれぐれと』(角川文化振興財団)

[関連事項]
雑記帳200(山尾玉藻句集『かはほり』)
 

■雑記帳724 26/5/27

切子のぐいのみ(泉水麻美) 自分が切子のグラスを購入するとは思っていませんでした。むろん切子の美しさは知っていますが、食卓で使う器として、私の手になじんでくれると思っていなかったのです。しかし、横浜画廊(横浜市中区)で開催された第3回燦々会(会期:2026年5月15日〜24日)に足を運び、泉水麻美さんのぐいのみを手に取って、こんなになじんでくれるのだ、と驚きました。
 私がうかがった日には泉水さんがちょうど在廊しておられ、いろいろお話を聞かせていただきました。失礼な質問もしたと思うのですが、穏やかに、そして自然体でことばを返してくださるお人柄がそのまま作品になっている、そんな作品たちのなかから、写真のぐいのみを選びました。2色の響き合い、色と模様の響き合いが美しく、ふっと手にやって来てくれる、そんなぐいのみです。

 

■雑記帳723 26/5/17

吉野裕之歌集『空耳の町』(六花書林) 歌集『空耳の町』(六花書林)が刊行されました。『砂丘の魚』(沖積舎、2015年)に続く11年ぶりの歌集です。2010年から2014年に制作した作品を中心とする291首および3句で構成しました。年齢としては50歳前後のもの。実は、原稿は2015年の終わり頃にはほぼ整理でき、タイトルも決めていたのですが、それから10年の時間がかかってしまいました。自分でも不思議ですが、確かにそうだったのです。
 今回は俳句を積極的に活用し、短歌と俳句によって構成した章(1つ)と俳句を詞書にした章(2つ)があります(詞書に22句使用していますので、俳句は実質25句を収めています)。スラッシュ(/)はこれまでも使用していますが、新しい試みもあります。破調の作品では、あらためて短歌という詩型のしなやかさとしたたかさを確認しました。
 六花書林の宇田川寛之さんと出会ったのは、お互いにまだ20代のとき。あれから30数年の時間が経ちました(就職が決まった、というお話を聞いたのがつい昨日のことのようですが……)。今回の出版では、ていねいなお仕事でいろいろ助けていただきました。帯のコピーと5首選も宇田川さんによるもの。真田幸治さんの装幀も素敵です。宇田川さんと真田さんに、心より感謝です。

 

■雑記帳722 26/5/10

  • Tシャツと思っておるか楊(ヤン)さんのそれはグンゼの下着だってば  米倉 歩
  • 「にっぽんはきれいでべんり」その先が聞きたくて待つ会話の時間
  • 降る雪の白き歯をもてさっくりと空論を切る李慶(りけい)ちゃんよし
  • 〈であります〉と書く学生もおりましてすなわち〈ありま〉に棒線を引く
  • 腹の底から笑いたくなるような派手な喧嘩がしてみたし今
  • 産む性の産まぬ個となりひさかたの光のどけき春のベランダ
  • 父と子の間をどこか投げやりに往還してるサッカーボール
  • 各駅に停車するたびわが陣地いよよ狭まる満員電車
  • 教室に劉峰おらず 何だっけ小池光の歌にあったな
  • 頭から尻尾まで無垢な日本語を聞きたい時に指す一人あり

米倉歩歌集『日本語中級1クラス』(角川文化振興財団) 米倉歩さんの歌集『日本語中級1クラス』(角川文化振興財団、2025年)の巻頭近くから10首ほど引きました。
 タイトルを拝見し、こうしたタイトルをつけるのはきついのではないだろうか、ふと、そんなことを思いました。それは、主題が直接読者に向かっていくから。タイトルが必ずしも主題でなくても、読者はそこから一冊を理解しようとする。それが、きついのではないかと思ったのです。しかし、読み進めると、だからこそ読者を揺さぶる効果があるのだと気づきました。そして、エンターテイメントとしての面白さを提示するのも、米倉さんの方法なのだと思います。

 

■雑記帳721 26/5/3

「槐」1992年7月号 今回は母の本棚です。4年前の秋に亡くなった母が使っていた本棚があって、亡くなった後も触らずにいました。手に取りやすいところに橋みずほと私の歌集を立ててあり、ありがたいなあ、と思っていました。よく見ていなかったので気づかなかったのですが、本の後ろにも本があり、尾崎左永子さんの歌集『さるびあ街』(沖積舎、1989年)、上田三四二さんの『花に逢う−歳月のうた』(平凡社、1983年)、宮柊二さんの『白秋・迢空』(河出書房新社、1984年)、原田種夫さんの『萩の抄』(西日本新聞社、1986年)などがあって、驚きました。なぜ母の本棚にあったのかわかりませんが、いずれも私が20代の、独身の頃に求めたものです。俳誌「槐」1992年7月号もあって、開いてみると、第1回槐賞発表の号でした。受賞者は山西雅子さんと私。
 岸田稚魚が亡くなり(1988年)、今村俊三が亡くなり(1990年)、俳句をはじめて数年の私は戸惑いながら俳句を続けていました。そんな時、「槐」創刊(1991年)への参加のお誘いを受けたのでした。岡井省二がお手紙をくださり、岡本高明がお電話をくださり、俊三がもっとも信頼していた兄弟弟子のひとり、外川飼虎の助言もあり、「槐」に参加したのでした。同世代の仲間も多く、楽しく、刺激的な10年でした。

  • 三階は瓦斯タンクまで朧かな  裕之
  • アイロンをしまふ四月の畳かな

 同人欄の5句にはこんな作品を提出しています。

  • にんげんと暮らしはじめる四月かな

 雑詠欄ではこんな作品を省二が取ってくれています。そう、この年の4月に結婚し、実家を出て、小さなアパートメントの3階で生活をはじめたのでした。

 

雑記帳[73]

727:早坂類歌集『黄金の虎−ゴールデン・タイガー』
726:佐佐木定綱歌集『月を食う』
725:山尾玉藻句集『くれぐれと』
724:泉水麻美の切子(ぐいのみ)
723:歌集『空耳の町』
722:米倉歩歌集『日本語中級1クラス』

721:自作俳句ほか

72 雑記帳 │74│

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