今、机のすぐ横に、歌集『葦』がある。20年くらい前だっただろうか、蔵書を整理している方から譲り受けたもので、この一冊も手放されるのかととても驚いたが、理由はお聞きしなかった。
一冊には、建石修司画とクレジットされたふたつの作品が挟み込まれており、銀色を主体とした中山銀士の装幀、ノンブルの漢数字などが響き合いながら、美しく歌集を支えている。4つの章の最初は「父母に献ず」で、たとえばこうした作品を収めた一連「帰宅」からはじまる。
- 爾後父は雪嶺の雪つひにして語りあふべき時を失ふ
- 坐り立ち落ちつかぬ日の昏れゆけり安けくありき他郷の部屋は
美しく歌集を支える要素たちは、美しい作品を支えるための必然なのだ。いうまでもなく、『葦』は春日井が短歌を離れ、復帰した後の最初の歌集。彦坂はいう。「『葦』の歌は、現実や事実と近いところにモチーフをとりながら、実と虚が織物のように編まれ、絡み合いながら世界を表出している」。そして、続ける。「言語芸術としての短歌を再び選択した、春日井建が確信もって『葦』に展開してみせた法則は、虚と実の接点に生み出される建の世界の解釈=真実であったのだと思うのである」。つまり、『葦』という歌集は「若さや情熱のほとばしりだけでなく、思想にまで深めた表現世界」としてあり、「再び歌を選択した建の新しい思想を表象する表現が込められている」のだ。それが、作品の美しさの実体なのだと思う。
この『春日井建論−詩と短歌について』は、2016年から「井泉」に連載された原稿38回分にふたつの補遺を加えてまとめられたもの。補遺のひとつ「〈今という時間〉と〈綺語〉の思想」は春日井が亡くなって5ヶ月後に発表されたものだが、彦坂は「歌人・春日井建が二〇〇四年五月二十二日に亡くなった。享年六十五歳は、まだ少し早いという思いが強い」と書き出す。あれから20年が経ったが、多くの人があらためてこのことを思うのだと思う。「まだ少し早い」。この、柔らかな物言いは、だからこそ確かであり、多くの読者が自分の思いとして共感する。そして、この補遺のなかで彦坂は、「『未青年』の悪とエロスの美学は衝撃的だった。(略)しかし、その背後にもう一つ、初期作品から、現在の状況に対する視線があったことも見逃してはならない」と語る。貴重な指摘だ。
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