• ワープロからアアアの文字つづけばふたりして森閑とせり　　高瀬一誌
• 最近はどうもどうもと樹木まで首の上げ下げはじめたり
• そら豆をかみつぶすとき母はイランの神の顔する
• あそび呆けていた鋏は十日間かけて帰ってくるもの
• わが姪はクレヨンで家を描きそれから炎上させたり
• つかずはなれず人のうしろを歩いてゆきやがて通夜の席に坐りぬ

　たとえばこうした作品に惹かれて、ぼくのなかでは「高瀬さんの短歌」のイメージが形づくられている。いわゆる定型をはずした、その多くは字足らずの作品。定型をはずすことによって生じる一首の緊張感がそっと置かれていることが心地よい。そう、「高瀬さんの短歌」は、そこにそっと置かれている。

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• みのりゆく蜜柑の山にかこまれて海はしづかな藍に凪ぎをり
• 地に消ゆる雪のしろさにおもふ時あなたは遠い人となりけり
• 夕陽のなかの点景となり癒すべき傷跡をもつ人もけものも
• シェリー酒がさそひし浅きねむりあり海がこはれし夢にて終る
• いくつもかたまり光る雲ありて空港の真昼を父はフランスに発つ
• ぼうぜんとすぎゆくもののかたちにて車輌は鉄の音をひびかす

　「初期歌篇」から引いた。ああ、こんな作品をつくっていたんだ。それは驚きではなく、しみじみとした気持ちである。青春ということばを使うとつまらなくなってしまうかもしれないが、対象への向かい方やその切り取り方、あるいは素材やことばの選び方に見られる青春性が抒情の質を確かに定めている。

• 死んでも眼を閉じぬ魚の上に砕かれし氷うつくしくかけてゆく
• バルサンのコマーシャルに人が笑うことなど街にたしかめている
• わが細き首まわり計られてから一日がみだれてしまいぬ

　そして、こうした作品が続き、最初の歌集『喝采』に接続していく。

• うどん屋の饂飩の文字が混沌の文字になるまでを酔う
• よく手をつかう天気予報の男から雪は降りはじめたり
• 梅干にそれぞれ顔ある顔あることにぼうぜんといる

　『喝采』は、確かに文体を得た一冊だと思う。10代で短歌と出会った高瀬さんは、50代に入ってはじめて歌集をまとめた。この長い時間を思う。とても長い時間と思う。時間をかけて模索していたのだ。高瀬さんは、向こうから来るものを待つ。そんな構えで模索していたのだと思う。確かに文体を得た一冊、と述べたが、それでもなんだか遠慮がちな、変な言い方だけど、そんな感じがする。そして、高瀬さんの時間をかけた模索は、とても美しいグラデーションを形づくっている。
　このグラデーションを壊すことなく、『レセプション』で変化を見せる。向こうから来るものを待つのではなく、狙いを定めてこちらからいく、そんな構えに変化しているように思う。

• つつましく豆腐を食す丙午たる母の老年が見ゆ
• 豆腐一丁を腹に収めし伯父がはげしく屈伸運動をなす

　豆腐の作品を『喝采』と『レセプション』から引いた。たとえばこうした違いに、その変化を見ることができると思う。
　そして遺歌集『火ダルマ』。

• ガンと言えば人は黙りぬだまらせるために言いしにあらず
• つぶしたいものがあるのかバスは一回あとずさりをする
• ロボットの音声は低音にしておごそかに礼を言いたり

　「高瀬さんの作品」は、読者が自分の体のなかを通すことによって見えてくる、そんな作品だと思う。だから、ちょっと取っ付きにくいけれど、勇気を出して体のなかを通してみると、とても親しい気持ちになる。
　多様な人びとの多様な試みの総体が、表現のあり方や表現にかかわる価値観を更新していく。高瀬さんはそのことを知っている。だから自らの独自さを誇示することなく、自らの役割、つまり多様な人びとのひとりとして、その役割を謙虚に実践している。
　「高瀬さんの短歌」は、そこにそっと置かれている。そことは、高瀬さんがほんとうに大切にしている問題に取り組む場所。いまも高瀬さんは、短歌という詩型のために、そこで謙虚な実践を続けている。