この歌集は、『石に咲く花』に次ぐ七番めの歌集です、人生八〇余年、多くの方々に出会い、さまざまな方々に励まされ、生かされて、ここまで来ることができました。八〇余年の邂逅、僥倖に心から感謝と御礼を申しあげます。

　あとがきは、こう書きはじめられ、次のようなことばも置かれている。

　八五歳はまだ青春、ここからが正念場です。全てに生かされて生きてきた「今ここで」姿勢を正し、新しい心でスタートいたします。命の限り、力いっぱい前進して参ります。

　著者の思いが、よくわかるフレーズだ。

• 榛の木を真っ赤な風が吹きぬけるこの一時(いっとき)の大地麗し
• 軽やかに風の流れる畑中に夕日見ている炎(も)えつきるまで

　最初の一連「大地黄昏」は、これら二首からはじまる。著者の思いが、確かにかたちになっていると思う。

• 風来ればあるかなきかの声あげるしなやかにして強靭なり竹
• 鶏頭の血よりも赫き晩秋の午後の日ざしの荒野あゆめり

　次の一連「虎落笛」に置かれたこれらも同様の印象をもつ。とはいえ、疑問のような気持ちも生じる。
テーマをもった一連をいくつも収めるのは、この一冊の特徴。たとえば「サハラ砂漠」から引いてみる。

• 生と死の境界のなきこの砂漠果てなくつづく空も砂色
• 肉体も魂(たましい)も存在許さないサハラの砂漠ただ砂嵐
• 果てみえぬこの巨大なる砂の海豆粒ほどもいかぬ人間

　あるいは、知に対する敬意。

• この広い宇宙のような文学世界開いてくれた鈴木章先生
• トラックより本取り出して新しい書架に置きゆく　時間忘れる

　おそらく、私から世界を規定していく方法を取っているのだ。あるいは、すでにあるもの／ことから組み立てていく。だから、早い。表現とは、表れる、現れる、というふたつの文字からなる。

• 木造りのベンチに座せば蟻ひとつ這いはじめたり皺なすわが手
• あたたかき日向選びて歩みゆく川に沿う道杖曳く妻と
• 影ひとつしたがえて立つ伎芸天左の肩のやや太り肉（じし）

　こうした作品は日々の何でもないようなもの／ことを詠みながら、正しくなにかが表れて／現れている。