• 階段をのぼりてここに来たるかなくだりて来たるとも思いけり
• うまそうに焼きそばを食む翁ありむしゃりむしゃりとたいらげにけり
• 交替の医師を待ちつつたそがれの医局におりぬひたすらおりぬ

　地方都市郊外の精神病院に勤務する著者、五十代の作品を収めた一冊。一首目の「のぼりて」と「くだりて」の揺れ。二首目の「むしゃりむしゃりと」たいらげたという把握。三首目の「ひたすら」という様態。こうしたところに著者の個性が現れているようだ。

• 二十九日に納涼会があるという知らせを誰もわれに告げざる
• いつもとは少し異なることをせむ朝戸出に二度靴を撫でたり
• 座席にて黒き鞄を開けしとき朝しまいたるパンのにおいす

　それはなんだか変な感じなのだが、その奥には、けっして変な感じではない、まっすぐな、というとつまらなくなるが、そんなしずかさがある。